キレイなノートと△△で思うこと

生徒が授業中に、『時間をかけてキレイなノートを書いている』とき、よく話すことがあります。


『キレイなノートを書く』と『話を考えながら聞く』は、両方同時にできればもちろん最高だけど、普通はそんなことはできないので、どちらかなら『話を考えながら聞く』ほうを優先したほうがいいよと。


『キレイなノート』って、あとから見たときに、【キレイにまとまっていることに満足】はするだろうけど、それが【問題を解けるようになる】と一致するとは思えないんですよね。


私自身の例を出すと、算数・数学のノートを見返すということは基本的になく、知識の部分は教科書やテキストをチラっと見れば書いてあるので、それでいいかなという感覚でした。


・・・ノートはただの計算用紙と化してました(笑)


もちろん、人それぞれ合う方法が違ったりするものなので、ノートをキレイに書く方向で結果が出ている人は、それを続ければいいかと。(私としてはそれで結果が出る気はしないですが・・・(^^;))



ということで、これと似た場面を見かけるとモヤっとしてしまうんですね。


それは・・・『キレイにまとまっている板書』

(個人的な考え方なのでゴメンナサイ・・・)


そこに時間をかけるなら、良問を解かせて、ひとりひとりの様子を確認し、それに対処することに時間を割きたいなと。


スポーツや楽器で言うなら、見本を見せるほうに力を入れ過ぎず、実際にやらせてみて、それに対していろいろアドバイスをして、またやらせる。のほうがいい気がします。

(生徒が集団か個別(少人数)かで、多少は変わってはきますが。)



もし、キレイなノートを書いているにも関わらず、なかなか算数・数学の力が伸びないと思っている場合は、そのあたりを思い切って変えてみるといいかもしれませんね(^^)



無料体験もありますし、ご相談だけでも構いませんので、無理なく算数・数学を伸ばしてみたい方はお気軽にお問い合わせください。

数学のLIM先生

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